曹洞宗とは

今から八百年ほど前の鎌倉時代に、「道元禅師(どうげんぜんじ)」さまが、正伝の仏法を中国から日本に伝え、その四代後を継がれた「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」さまが、全国に広められ曹洞宗の礎を築かれました。このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに一仏両祖(いちぶつりょうそ)として仰ぎます。

両祖さま

道元禅師

道元禅師は1200年、京都にお生まれになり、14歳のときに比叡山にて得度(とくど)されました。24歳で仏道を求め宋に渡ると如浄(にょじょう)禅師のもとで修行に励まれ、「正伝の仏法」を相続されました。
28歳で帰国した後、正しい坐禅の作法と教えをすすめようと『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著され、34歳のときに宇治に興聖寺(こうしょうじ)を建立し、最初の僧堂を開いて修行者の養成と在俗の人びとへの教化を始めました。また、仏法の境地と実践を伝えるべく『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の執筆を続けられ、45歳のときに越前に大仏寺(後に永平寺と改名)を建立しました。
その後も道元禅師は修行の生活を送りながら弟子の育成につとめられ、1253年、54歳でそのご生涯を閉じられました。

瑩山禅師

瑩山禅師は1264年(1268年の説もある)、越前にお生まれになり、8歳で永平寺に入り三世義介(ぎかい)禅師のもとで修行を始めました。
13歳で二世懐弉(えじょう)禅師について正式に僧となると、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)と名を改め、19歳になると諸国行脚の志をたて、求道生活に精進されました。
35歳のとき、義介禅師の後を継いで加賀国(石川県)の大乗寺住職となり、2年後に『伝光録(でんこうろく)』をお示しになりました。その門下には優れた人材が集まるようになり、曹洞宗が発展する基礎が築かれました。
また、50歳で能登に永光寺(ようこうじ)を開き、そこで『坐禅用心記(ざぜんようじんき)』を撰述されたといわれています。
その後、58歳のとき諸嶽寺(もろおかでら)を寄進されると禅院に改め總持寺と名づけました。
1324年、61歳のとき總持寺の住職を峨山(がさん)禅師に譲られ、翌年62歳でそのご生涯を閉じられました。

基本経典

正法眼蔵しょうぼうげんぞう

『正法眼蔵』は、道元禅師が1231年8月より1253年1月にいたる、23年間にわたって説示されたもので、その題名が示すように、お釈迦さまから歴代の祖師を通して受け継いだ正しい教法の眼目を、あますところなく収蔵し、提示しようとした著ということができます。
その内容の多くは、道元禅師の深い悟りの境涯を、禅師独特の語法で説示した高度なもので、現代においても、日本の生んだ最高の宗教思想書とも評されています。
『正法眼蔵』は一般に95巻といわれていますが、それは道元禅師には最終的に100巻として仕上げる構想があったところから、のちに弟子たちがその意をくんで、1690年に編集したものです。
道元禅師自身には、自ら編集された75巻と12巻の新草とがあり、その他の巻と合わせてあらためて体系的に組織化していく意図がありましたが、思いなかばに示寂してしまい、それを果たすことができなかったといわれます。そのため、『正法眼蔵』はさまざまな形で伝承され、60巻本、28巻本などの諸本も存在しています。

伝光録でんこうろく

『伝光録』は、瑩山禅師が1300年の1月から、加賀(石川県)の大乗寺で、師匠の義介禅師に代わり、修行僧たちに説き示した説法を、のちになって側近の僧がまとめたものです。
瑩山禅師の説法の記録(提唱録)ですから、禅師自身が筆をとって書いたものではありません。
釈尊をみなもととする坐禅の仏法が、インド・中国・日本の懐装禅師にいたる53人の祖師たちに、どのように正しく伝えられてきたか、各章ごとにさまざまな僧の伝記を引用しながら、各祖師たちの悟道(ごどう)の主題、伝記、悟道の因縁、それらに対する瑩山禅師の解説、修行僧たちに向けての激励のことばを述べ、結びの詩をもってまとめてあります。
本書は道元禅師の教えをふまえて、曹洞禅の教えを53人の祖師の史実のうえに跡づけようとしたもので、『正法眼蔵』とともに曹洞宗における代表的な宗典として尊重されています。

曹洞宗の坐禅

所謂坐禅は習禅には非ず。
唯だ是れ安楽の法門なり、菩提を究尽するの修証なり。
『普勧坐禅儀』 道元禅師
常に大慈大悲に住して、
坐禅無量の功徳、一切衆生に回向せよ。
『坐禅用心記』 瑩山禅師

曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。

曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。
道元禅師はまた、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。修行というと日常から離れた何か特別なことのように聞こえますが、毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心でつとめ、それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。